こんにちは、小田島廉です。
突然ですが、皆さんの心に残っているテニスコートはどこですか。宮城県内には至る所にテニスコートがありますよね。大会に使われることも多い泉コートや川内コート、面数は少ないけれど僕が高校時代に行くことが多かった卸町コート、僕の実家のすぐそばのグランディ21(ああ~出身中学がバレる)、そして我々の今の本拠地、ジュニパーク岩沼など…。行ったことのある場所を数えるだけでもキリがないですね笑。これだけ多くのテニスコートがあれば、多くの人は1つか2つくらいは思い出深いテニスコートがあるのではないですか?というわけで、今回は私の思い出のテニスコートを2つご紹介します。
まず一つ目は川内テニスコートですね。実は私の高校テニスデビュー戦はこの川内コートで行われたのです。その時はまだテニスを始めて2か月程しか立っていなかったのでストロークもサーブもロクに打てず、N高校の3年生の方に0-6でボコボコにされました。人生初のサンドバック経験をここ川内コートで味わったわけですね。さらに実は実は、高校最後の試合もここでやりました。その時もひどい試合をした記憶があります。自分のミスが自分を負けへと導いた試合でした。2度とあんな試合はしたくありません(笑)。まあとにかくですね、川内コートは僕にとって「始まりと終わりの地」であるわけです(厨二病かな?)。ある意味思い出深いのも当然ですね。
もう一つはグランディです。皆さんご存じのとおり、グランディは市街地から遠くの丘の上にありますよね。そして、三高テニス部は恐ろしいことに冬場の練習をグランディで行うことが多かったので、放課後になると即自転車部と化してグランディへ向かうのです。当時部員の大半が仙台市に住んでいたため、その日の部活がグランディで行われることが決まった時は、みんな部活が終わった後の長い長い帰り道への絶望感を漂わせていました。しかし、実家が近い僕だけは、彼らの前でこれ見よがしにガッツポーズを繰り返し、喜び勇んでグランディへ向かったものでした。またグランディでの思い出と言えば、この大会の主催の川口先輩の最後の雄姿を見たのもグランディでした。その年は残念なことにコロナ禍の影響で高総体が中止になってしまい、有志の方々によってちょうどグランディで代替大会が開かれていたのですが、そこで川口先輩をはじめとした団体メンバーの奮闘する姿を目の当たりにしました。今考えると、あれがなければ僕が今もテニスを続けているようなことはなかったかもしれません。それくらい僕のテニス人生に影響を与えた試合でした。
他にも、最も公式戦を戦った泉コートやなぜか試合の度に強風に見舞われたジュニパーク岩沼など、思い出せばキリがないですが今回は二つにしておきます。テニスコートの話に限らず、僕のテニス部時代の思い出はほんとにしょーもない話ばっかりです。でも、今になって当時を思い出して感傷に浸るには、こんな些細なものでも十分なのです。だから、どうか皆さんもこの短い三年間の間に、どんなにくだらなくても良いので、何か思い出になるようなことをいろいろとしてみてください。きっと後から思い出して良い気分になれますよ。
毎度長々とお付き合いいただきありがとうございます。それでは、またお会いしましょう!